いつもブログを読んでくださっている方はご存じのとおり、わが家には、たまの4歳上に兄・じんがいます。
先日、娘・たまのアメリカ大学受験について記事を書きました(まだの方はこちら)。
実はじんの受験は、たまとはまったく違うタイプのものでした。
コロナ禍という特殊な時代背景もあり、正直、「これはほかの家庭の参考になるのだろうか」と迷ったのですが、記録として残しておきたいと思い、書くことにしました。
じんの受験については、大学への出願を終えた直後にも一度記事を書いています。
まだ合否も出そろっていなかった、まさに受験真っ最中の記録。
↓短めなのでよろしければこちらも読んでみてください。
公立マンモス校のリアルと、コロナ禍
じんは、たまとは違い、公立のマンモス校に通っていました。
生徒数が多いだけに、真面目にコツコツ勉強にスポーツに頑張る子もいれば、かなり荒れている子もいる。
良くも悪くも、幅の広い環境。
駐車場でドラッグを売買している生徒がいたり、探知犬が抜き打ちで校内をチェックしに来たりすることもあったほど。
AP(上級クラス)のようなレベルの高いクラスに入れなければ、やる気の感じられない生徒ばかりのクラスになってしまうこともありました。
そういう意味では、じんにとってはストレスを感じる環境でもありました。
じんが高校のジュニア(11年生)という大事な時期に、コロナ禍が直撃しました。
キャンパスツアーはもちろん中止。
授業はオンラインになり、家にいる時間が長くなりました。
友達に会えなくなったのはもちろん残念でしたが、オンラインやチャットで友達とは密にコミュニケーションを取れていました。
多感な年頃の高校生で大変なこともあったけれど、家でゆっくり勉強したりゲームして過ごせるようになったことは、むしろ「最高」だったようです。
フレッシュマンから4年間、伴走してくれたカウンセラー
たまは私立校でしたが、公立高校に通っていたじんは、高1(フレッシュマン)の時点から外部のプライベート・カレッジカウンセラーに依頼していました。
知人の紹介で見つけたこの方は、「良い大学に入ること」だけを目標にはせず、生徒個人の長期的な幸せを性格や適性から考える、というスタンスのカウンセラーでした。
同じアジア系ということもあり、相談しやすい雰囲気だったのを覚えています。
フレッシュマンの頃から、履修するクラス選びや成績のアップデートまで、4年間にわたって細かく相談に乗ってもらいました。
料金は当時、フレッシュマン・ソフモアの時期は年間1,200ドルほど。
ジュニア・シニアになると年間1,600ドルほどでした。
4年間の総額は5,600ドル。
複数のエッセイの添削まで含まれるパッケージだったので、振り返るとかなりお得だったと思います。
カリフォルニア州内で挑んだ、堅実な出願戦略
たまが「絶対に東海岸!」と決めていたのに対し、じんはカリフォルニアの天気や車の運転が大好きなので、州外へ出る気は最初からありませんでした。
実際、高校生で免許を取ってすぐ車通学を開始、大学でもソフモア(2年生)の頃から自分の車を運転していました。
志望校・受験校は、すべてカリフォルニア州内。
マンモス州立大学よりも、少人数クラスで手厚くケアしてもらえる私立大学のほうがじんの性格に合っていると、親子ともに感じていたので、希望は私立大学。
カリフォルニア在住の生徒ならかなりの割合で受験するUC校はもちろん受験しましたが、じんの成績をよく知るカウンセラーからの「一般入試だけでなく、EDやEAも活用すべき」というアドバイスに従い、EAで北と南の私立大学3校に出願、すべてに無事合格しました。
最終的には、EAで合格した3校を実際に見学し、自宅から適度に距離のある北カリフォルニアの私立大学への進学を決めました。
決め手は、とにかく大学の雰囲気が明るくて楽しそうだったこと。
新しくSTEMの校舎も完成し、教育環境にしっかりお金をかけていると感じたこと。
そして同じ州内とはいえ、LAから離れて新しい環境に挑戦できるというのも、じんにとっては魅力だったようです。
課外活動とエッセイの題材
じんの課外活動のメインは、小学生から続けていたボーイスカウト。
ジュニアで「イーグルスカウト」を達成できたのは、出願にあたってかなりのアドバンテージになったと思います。
もう一つ、地道に続けていたのが日本語。
毎週土曜日は日本語補習校に通っていました。
じんの通った公立高校には外国語の科目に日本語がなかったため、クレジットテストを受けて、外国語の履修として認めてもらう形にしました。
大学エッセイの題材になったのは、東京→シンガポール→台北→ロサンゼルスと転校を重ねてきた経験です。
アジアでの在籍校はすべてアメリカンスクール。
特に中学時代は、シンガポール・台北・ロサンゼルスと、1年ごとに3校を転校しています。
それによって培われた対人スキルや順応力の高さは、じんの大きな強みになりました。
SATがなくなったことに救われた
じんは、どちらかというとテストが苦手なタイプ。
SATの練習で受けたテストのスコアがあまりにひどく、「これはやばい……」と、本人も家族も青ざめたのを覚えています。
そんな中、コロナ禍でSATの受験会場が軒並みクローズし、多くの大学でSATスコアの提出が不要になったのです。
テストが苦手なじんにとって、これは「願ったりかなったり」の出来事。同じ受験でも、たまがSATの準備に苦労していたのとは対照的です。
冗談で「SATがあったら、今の大学には入れていなかったかもしれないね」なんて話していたこともありました。
たまとじん、きょうだいとしての視点
実は、たまが中学から私立に通うことになった理由の一つは、じんが通っていた現地校の中学があまりに荒れていたことでした。
「たまがそこに通うのは心配」
じんがそう言ってくれたのが、私立校受験を考えるきっかけになりました。
なんだかんだ言いながら、4歳上の兄として、じんはいつもたまのことを気にかけてくれていたんだなと嬉しかったのを覚えています。
ただ、たまが東海岸の大学を志望した時は、さすがに自分の分かる範囲を超える話だったので、そっと見守るスタンスだったようです。
一方のたまは、自分でどんどん新しいことに挑戦して、色々と自分で経験したい性格なので、じんの通ったカリフォルニアの大学には一切興味なし。
同じ家族でも、ここまで進路への向き合い方が違うのかと、親としても興味深く感じました。
今、大学生活を振り返って
じんの大学生活は、総合的に見て大満足だったそう。
親元を離れましたが、フレッシュマンの頃から仲の良い友人グループができ、大学3年生(ジュニア)からはその仲良し5人組で一軒家を借りて、2年間一緒に暮らしていました。
卒業後はみんな進路がバラバラになりましたが、一生付き合える大切な友人たちができました。
本人によると、授業についていくために寝る間もないほど勉強に追われるという感じではなく、クラブ活動も友人との時間も楽しめる余裕のある大学生活だったとのこと。
優しい教授が多く、個人の連絡先を学生に教えてくれて、「授業で分からないことがあれば、いつでも連絡していい」と言ってくれるほどだったそうです。
じんにはこういう環境が合っていて、明るいキャンパスでのびのびと4年間過ごすことができて、本当に良かったと思います。
おわりに
たまの受験がドラマの連続だったのに対して、じんの受験は、コロナ禍という特殊な状況の中で、カウンセラーと二人三脚で堅実に進めた記録という感じです。
もし、まだたまの受験記録を読んでいない方は、こちらもぜひ読んでみてください。ブログでは第1〜3章を無料公開していて、続きはnoteでお読みいただけます。
▶ 娘のアメリカ大学受験。正解は一つじゃなかった。でも、わが家の答えは見つかった。(note)
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